木の花ファミリーの暮らしは、1994年3月21日、静岡県富士宮市の富士山のふもとにて、20名のメンバーによってスタートしました。
富士のふもとに “菩薩の里” をつくろう
木の花ファミリーの前身は、愛知県小牧市で「心」について学ぶ人たちの集いでした。その中心にいたのは、ジイジというちょっと変わったおじさんです。
当時内装業を営んでいたジイジは、仕事で様々な人の家を訪れ、行く先々で表には現れていないその家の問題を感じ取り、多くの人々の相談に乗るようになりました。そして、ジイジから湧き出す、それまで聞いたこともないような、だけど不思議と心が洗われていく話を聞くうちに、いつしか「もっと心のことを知りたい」と思う人々が、仕事を終えたジイジの家に集うようになりました。やがて、ただ語るだけでなく、語っていることを実際に実践する場をつくろうと、20名の人々が静岡県富士宮市の富士山麓へやって来て、木の花ファミリーを立ち上げたのです。その根底にあったのは「富士のふもとに菩薩の里をつくろう」という想いです。
菩薩とは、他者や世の中の喜びを自らの喜びとする存在を言います。人々が集い、語り合い、自然と調和し心豊かに生きる場所をつくろう ―――― 当時、誰もその暮らしがどこへ向かうのか知りませんでした。どうなるかはわからない。だけどきっと、この生き方がこれからの時代に大切になる。個人の意志を超え、大いなるものに突き動かされるように、それが「大切」だと感じる人たちが、1994年春分の日、まったくの手探りの状態から木の花ファミリーをスタートさせたのです。
木の花ファミリーの創立に至るまでには、長い長い物語があります。その物語の一部を「ジイジのブログ」にてご紹介しています。どうぞご覧ください。(ブログでは、ジイジは当時の呼び名である「いさどん」と表記されています。)→ ジイジのブログ「木の花記」へ
とても難しそうで、とても簡単なこと
今、地球上にはたくさんの問題が起きています。
政治、経済、環境、教育、どこを見ても世界は大きく行き詰まり、問題どうしが複雑に絡み合ってさらに巨大な問題となり、それを解決するのは極めて困難なことに思えます。けれどもその実体は、とても簡単なことなのです。
人は誰しも、自分の体が健康であることを願い、生きています。そして自分の家族が健康で、幸せに暮らすことを願い、生きています。家族みんなが幸せであることが、自分の幸せになるからです。
私たちは毎日太陽の光を浴び、大地が育んだ食べ物を食べ、水を飲み、風を受け、空気を吸って生きています。そのすべての循環の源は、太陽です。そして、太陽はひとつです。大地もひとつです。水もひとつです。風もひとつです。空気もひとつです。つまり、私たちはみんな、ひとつのものから生まれてきた家族だということです。
地球には、実に870万種とも言われるほど、多種多様な生命が存在しています。そのどれもがそれぞれに個性的な役割を持ち、互いに連鎖して、地球生態系という壮大な命のネットワークを築いています。そしてその生態系は、太陽、大地、水、風、空気という、自然の作用が織りなす循環の中にあります。それは、地球そのものがひとつの体であるかのようです。手足や臓器から細胞の一つひとつに至るまで、私たちの体は、多彩で複雑ないくつもの働きが見事にネットワークし連動し、「私」というひとつの命を形成しています。そこに単独で存在しているものは何ひとつありません。一つひとつの存在が他に替えられない独自の役割を存分に果たし、それが互いに連携してつながることで初めて、自分を含めた全体が健康に生きることができるのです。
今、私たち人間は、自分の体を壊し、家族を傷付けるような生き方をしています。けれども、自分の体の健康を保つのと同じように、地球の健康を保つこと、そして、自分の家族の幸せを願うのと同じように、この世界のすべての存在の幸せを願うこと。それは本来とても自然で、簡単なことです。なぜならそれがこの世界の本当の姿であり、その仕組みの中で私たち人間も生かされているからです。
宇宙を表現しなさい
870万種とも言われる生命の中のたった1種類である人間は、地球上でも際立ってユニークな存在です。
地球には、実に多種多様な生命があふれていますが、同じ種の中で、個体ごとの違いというのはそれほど大きくありません。スズメAとスズメBに個性の違いはほとんどありません。カブトムシAとカブトムシBも似たようなものです。ところが人間は、同じ種でありながら、一人ひとりが極めて個性的です。外見も違えば、それ以上に中身が違い、嗜好も発想も人生の歩みも、人によってまったく異なります。これほどの多様性に満ちた種は、宇宙中を探しても他に存在しないでしょう。
人間社会は長い間、人々に一律になることを求めてきました。「こういう人生が良い人生だ」というモデルを作ってみんながそれを目指し、その結果、格差や対立を生んできました。けれども、本来この世界は多様性によって成り立っています。それぞれに違うからこそ、その違ったもの同士がつながることで美しいハーモニーとなり、豊かな命の世界が表現されるのです。
空を見上げれば、太陽には太陽の、月には月の役割があり、他の無数の星々もそれぞれにその星独自の役割を果たしながら、宇宙を巡り続けています。それは、壮大なる宇宙交響曲です。無限に多様な存在が連鎖し、互いに響き合いながら、ひとつの壮大なハーモニーを奏でており、その中を地球も共に巡っているからこそ、まるで約束されているかのように毎日地上に朝がきて、夜がきて、四季が巡って時が刻まれていくのです。もしも地球や太陽や他の星々が連携せずバラバラに存在していたら、私たち生命はたちどころに成り立たなくなるでしょう。つまり、宇宙の根本はつながることにあるのです。つながるとは、約束の元にある、愛です。
地球上に存在する870万種もの多種多様な生命の中の、たったひとつの種である人間。同じ種の中で、みんなが同じようなものであれば、きっともっと調和的であったはずなのに、人間は一人ひとりが極めて個性的です。なぜこれほどの多様性を与えられたのかというと、世界は私たちに、宇宙を表現することを託したのです。様々な個性を持つものが、互いに支え合い、活かしあい、つながって生きるように。そしてもっと豊かになるように。それは、宇宙の根本である愛の表現です。
これまでの人間は、互いの違いによって争ってきました。争い、分離し、自分の分が不足しないようにと必死になってかき集め、さらなる争いや矛盾を生んできました。しかし宇宙はもともと、完全なるフリーエネルギーの世界です。地球は秒速30kmという驚くべき速度で宇宙を移動しながら、長い間一度も燃料補給をしていません。太陽も、他の星々も、同じように高速で移動しながら一瞬たりともその光を消すことなく輝き続け、そのエネルギーは尽きることがないのです。この永遠なる調和の仕組みに沿った時、私たちも無限のフリーエネルギーの世界を生きることになるでしょう。
つながることを忘れ、分離して奪い合うエネルギー消費型社会では、人はどんどん傷つき、心が孤独になっていきました。しかし、すべてが調和し美しく循環するフリーエネルギーの世界は、とても穏やかです。穏やかで、心地良く、そこに出会うとやさしい心になれる。それが、私たちの生きる世界の本当の姿なのです。
魂のふるさと
木の花ファミリーは、私たちの生きるこの世界の本来の姿を表現する場として、誕生しました。それは、肉体を持って地球上に生まれた私たちの本住の地、魂のふるさとの表現です。
ですから、その美しい表現は、木の花ファミリーの生活の場だけでなくともいいのです。それは、地球の本来の姿であり、宇宙の実相です。人類は長い間、その目的地を見失い、歩んできました。長い長い道のりを経て、その歩みの目的地が「ああ、ここだったんだ」と誰もが気付き、自らを「おかえりなさい」を迎えられる場所。その表現が、木の花ファミリーが存在する目的です。
そこでは、真実に目覚めた人々が、一人ひとり他にはない、個性豊かな「個の花」を存分に咲かせることでしょう。そして、その色とりどりの花々がつながり、響き合い、美しい満開の大樹となるでしょう。もしも地球上のすべての存在が響き合い、つながって生きたとしたら、この世界はどれほど美しく、どれほど豊かになるでしょう。私たちはまだ、宇宙の中でも類い稀なる命あふれる星・地球の、本当の尊さを知りません。その大いなる可能性へ向かい、木の花ファミリーは日々、歩み続けているのです。