カタカムナ

古代の叡智を現代に生かし 生活に表現する

古代の叡智を現代に生かし 生活に表現する

カタカムナとは

カタカムナは、今から約13000年前の上古代の東アジア一帯、特に日本(当時は日本列島がまだ大陸と陸続きだった)で高度に発達したといわれる、言霊を元にした宇宙物理学のことです。
現代の最先端の物理化学とそれを元に発達した現代社会は、今あらゆる方面で行き詰まりを見せています。それは、私たちが生きているこの三次元物理世界の背後にあって、この世界を生み出す元になっている「潜象界」(多次元世界)があるという発想がないからです。
この世界を生み出す根源の世界の存在を忘れているので、人々の視野は狭くなり、物事を思考する発想が物理性に重きを置いています。そういった偏った世界観では、行き詰まるのは至極当前のことと言えます。ですから、時代の変遷の結果、現代の社会がこの行き詰まりに行き当たったことは予定通りのことと言えるのです。
予定通りということは、この状態は約束されていたということであり、当然その先があるのです。
その先を生きる人々へ、時代は今、次の人類の生き方のメッセージとして、新たな気づきを伝えようとしています。このような流れの中で、13000年前の宇宙物理学が封印をほどかれ、今、私たちに呈示されています。

カタカムナでみる宇宙の仕組み

カタカムナの八鏡文字の配列で示されるウタヒの多くには、私たちが命をつなげ、社会を形成していくために最も重要な、性についての奥義が示されていると言われています。

カタカムナのウタヒ 第5首・第6首

私たちの文明の奥にある人々の営みは、性に始まり性に終わると言われ、その正しい性の表現が失われてきた結果、すべての社会的秩序は混乱を極め、現代の人々の心をむしばみ、正しい行いがどこにあるのかわからないような状態を呈しています。カタカムナのウタヒでは、そうした性の真理を宇宙物理とつなげ、宇宙の根本は生命であり、私たちの社会をつなげていくための最も重要な行為が、人々が行う性にあることを示しています。今、混乱の極みを迎え、正しい社会づくりを目指すために、時代はまさしくこの古代の叡智、宇宙物理学カタカムナを示してくれているのです。
カタカムナでは潜象界のことを「カムの世界」、そして三次元物理世界(現象界)のことを「カタの世界」と言い、全ての命や物質は「カムの世界」から生まれる段階で、質的に転換(ナ)した結果、命や物質が存在する「カタの世界」ができていくと示しています。その事を「カタ・カム・ナ」と言います。
この二つの世界は質的転換を伴いながら常に循環しており、その循環のことを「天然循環」と言います。

「カムの世界」は、意識レベルが低いと感受することが出来ない緻密で微細な世界です。上古代のカタカムナ人は、そういった世界があることを認識していました。そして、宇宙が発する響きの中から48音を聞き分け、なおかつ一音一音に深い意味が秘められていることを感受し体系化し、残してくれました。この48音が世界中の言語の元になっていると言われています。
その後、時代と共に人々の感受性は鈍っていき、カムの世界の存在を見失っていきました。そして、世界中の言語は歴史と共に分裂して発達し、変化していきましたが、日本の大和言葉ではカタカムナの時代から殆ど変化することなく、純粋に48音が現代に引き継がれてきたのです。
カタカムナの時代は「コトダマノサキアフクニ」と定義され、多くを語らなくても、以心伝心で想いが伝わる民の住むクニと言われていました。その時代の人々の心は調和的であり、言葉は言霊であるということを熟知していたので、言挙げしない民、つまり議論しない民だったといいます。それは、言葉には人を殺す事が出来るほどの力があることを知っていたからなのです。
しかし、時代の流れと共に、人々の心は汚れてゆき「カムの響き」を感受出来なくなり、そんな状況と共に、カタカムナはレベルダウンし、封印されていきました。
現代人の感受性は鈍くて荒くなり、それはまるで目の粗いザルのようなものです。「カムの世界」という微細な世界は、目の粗い網ではすくうことは出来ません。「カムの世界」は三次元の理論や平面的思考では捉えられず、記憶するものでもありません。心や全身の細胞で感受するような微細な波動の世界なので、きめの粗い心や脳では感受出来ないのです。
現代の科学は、3次元の物理的物差しで測れるものしか、その存在を認めません。ですから、直観や心で感受するカムの世界を認識することは出来ないのです。しかし、人は誰でもカムの世界から生まれてきたエネルギーで存在しているのですから、DNAには必ずその記憶が刻まれており、その意識に到達した精神レベルを有する者には、時が来れば封印された記憶がほどかれ、理解出来るようになるものでもあります。
これからの時代の困難を人々が乗り越えていくために、そういった広い世界観と、カムの世界という多次元世界を感受する能力が必要とされています。そのためには、一人ひとりの波動量を上げ、直感力を磨くための心磨きが必須となってくるのです。

現代に復活するカタカムナ

カタカムナが世に出たのは、1949年、楢崎皐月氏が兵庫県六甲山系の金鳥山で地質調査中に平十字という謎の人物に出会い、見る機会を得た古文書「カタカムナ」(八鏡文字)を、5年かけて読解したのが始まりです。しかしそれは一般人にはなかなか理解出来ない難解なものでした。
楢崎皐月氏に続き、宇野多美恵氏など後のカタカムナ研究者たちに引き継がれてきた「カタカムナ」が、何故今、私たち木の花ファミリーに出会ったのかを考察すると、多くの人々が知識として学ぶカタカムナの探求が、いよいよ生活に表現される時代になったからなのでしょう。
私たちが生きている今は、過去の何万年、何億年の積み重ねの上にあり、星の運行(天盤の巡り)により、いよいよ一般大衆が真理に目覚めるサイクルが巡ってきているのです。そして、その奥にある大いなる意志を感じるマクロの視点と、日々の細かなことの中で己の心を緻密に振り返りながらこの世界の奥にある微細な世界を観じるミクロの視点、その二つを両輪とした学びは、これから真理を求める人には欠かせないものです。
古代のカタカムナ人は、群れで生きることで一人一人の個性的な直観を結集し、自然環境の厳しい時代を乗り切っていったと言われています。
人々の価値観が多様になり、欲望の渦に巻き込まれて真実を見失っている現代は、長い歴史の中でも時代の大きなターニングポイントになっています。人間の経済活動のために自然環境は悪化の一途をたどり、これから自然災害はさらに厳しくなります。社会を見ても人の心は荒れ果て、本来保つべき人心を失い、心の病が蔓延し、犯罪も増えています。民族紛争も絶えることがなく世界情勢も悪化している状況の中で、私たち人間が目指すべき事は、これからさらに増していくことでしょう。
今まさに、宇宙の星々の運行も、みんなでつながって生きて行く調和の時代が始まることを告げています。そんな時代の流れの中、カタカムナの深い叡智をみんなで探求し、深め、一人ひとりが直観を磨き、それを生活に正しく落としてゆく事が大切です。集い語り合うところから、新たな時代の真実が生まれてくるのです。
カタカムナの学びは、知意行一体と表現され、宇宙の道理を知り(知)、意欲を持ち(意)、生活に表現する(行)ということを元にしています。それを反復演練することにより、ミノナライとして身に着け、無駄のない、優れた社会を創造していくことにつながります。それは木の花ファミリーが創立以来実践してきたことでもあります。この新たな時代に向けての大切な叡智の学びを、皆さんと共に広めていきたいと思っています。

木の花ファミリー通信2019年秋分号にて、カタカムナを特集しています。

カタカムナの世界観をさらに深めたい方は、毎年2月から3月にかけて木の花ファミリーで開催される「1ヶ月間の真学校」へどうぞご参加ください。

*1ヶ月間の真学校専用ブログにて、講座の内容の一部をご紹介しています。

ともこカタカムナ