木の花ファミリー憲章

第 1 章  世 界 観

第1節 概要

宇宙の成り立ちや生命の神秘は、今のところ科学で完全には解き明かされていません。したがって、それは心を通して認識することになります。
現在、過去、未来、そして全宇宙へと、心はどこまでも思いを馳せることが出来ます。
人間が自らの視点を離れ、この世界をありのままに眺めたときに、一つの大きな法則が見えてきます。また五感を超えた感覚、すなわち直観を通して見出すことが出来る宇宙や生命の姿もあります。私たちがこの憲章で語る宇宙や生命は、こうした方法で導き出したものです。

私たちは宇宙に始まりも終わりもないと考えていますが、ある地点を区切り、そこを「始まり」と見なすことも出来ます。現象をありのままに眺めていると、すべての現象が「想い」という種から生まれていることが見えてきます。宇宙も同じです。「はじめに言葉ありき」と聖書にありますが、言葉とは「想い」のことです。「想い」のみが存在している時点。そこを始まりと見なします。
「想い」は圧縮して爆発し、「相反するもの」を生みだしました。磁石の両極のように、相反するものは惹かれ合い、新たな振動を生みだします。それがこの世界を創っています。
相反する存在により、比較が可能となり価値判断が生まれます。光と闇、善と悪、美と醜、大と小などは比べることによって生まれた価値判断です。
この世界で生かされている人間は「自分」という意識、すなわち自我を持ち、自他を区別するようになりました。それによって所有の概念や欠乏感、そして欲が生まれます。そうした欲にもとづいて、人々が自分に都合の良い世界を作ろうとしてきた結果、人々は病み、争い、自然を壊してきたのです。
自我を通して物事を認識する人間は、こうした現象を「問題事」としてとらえます。それを解決しようと目の前の現象を深く見つめた者は、ある事実に気付いていきます。それは、すべての存在が「想い」から創られているということです。
「想い」はあらゆる価値判断を超えた善意と愛、そして調和から成ります。これは自然界から教えてもらえる事実です。自然界では、お互いの存在が生かしあっています。これは利他の精神の顕れです。善意により繋がり、愛が生まれ、愛により絆が生まれ、調和をもたらしているのです。悪、醜、偽、欲、貧など、この世でマイナスの価値を与えられている事柄も、すべてはこの「想い」、善意と愛と調和から生まれています。「想い」に立ち返れば、すべてはひとつなのです。

私たちは目の前の「問題事」を通して、この世界を創っている「想い」を認識する道を与えられています。「想い」を認識した時、人は善意と愛と調和に目覚めます。これは心磨きの道です。より多くの人が心を磨くようになれば、世界は善意と愛と調和で満たされていくでしょう。それが、私たちの生きている世界なのです。

第2節 自然観

大自然は「地水火風空」の五つの要素から成り立っています。聖書に描かれた世界の創造が「光あれ」で始まるように、すべては「火」、つまり太陽の光から始まります。
太陽の光は海を暖め、雲を生み出し、雨を降らせ、気圧の変化で風を呼び起こします。大地は太陽の光と雨で植物を育み、風はそれを鍛え育てます。植物は食べ物となり、住処となって動物たちを養います。こうして、地表は豊かな緑で覆われ、動物たちが栄えて、いのちの活動、すなわち「気」が地に満ちあふれます。
満ちあふれたいのちたちは、互いの存在を必要としあっています。たとえばシマウマは草を食べ、ライオンはそのシマウマを食べます。その死骸や排泄物を小動物や微生物たちが土に還し、それを養分として草が育ちます。いのちといのちの織物の中、生命は他の生命へと変化し、受け継がれていきます。いのちは決してなくなることはなく、この世界に死は存在しません。

宇宙の暗がりに青く輝く地球。いのちが満ちあふれる星。善意と愛でつくられたこの調和の世界を、人間は自らの都合で作り替えようとしてきました。
自然は循環と調和によって成り立つひとつらなりのいのちです。すべての存在は光から始まり、私たちは皆、光の子として存在します。そのことに気付き、自然に顕された利他の精神に倣うことで、私たちの生活もまた調和を取り戻し、いのちの美しさで満たされるでしょう。

第3節 ひとつらなりのいのち

人間は自我を持つことにより、「自分」という意識を持ち、自他を分け、「個」を認識するようになりました。そして個体の消滅を死と呼びます。しかし、死と呼ばれるものは、新しい旅立ちです。生命力が身体から抜けると、個体の細胞は解体され、万物の中にちりぢりになっていきます。そして魂もこの世界の本質に戻り、微細になっていきます。それは全体の中に還っていく美しい瞬間であり、また旅立つことで、いのちの織物は続いていきます。
魂は次元を超えた存在であり、太陽、地球、人間、動植物、そして微生物に至るまで、すべての生命は魂を持っています。その魂は「想い」そのものです。そして、「想い」はこの世界を生み出した元の「光」から出来ています。すべての存在は「光」の子であり、すべてのいのちは「光」によってつながれた家族です。

第 2 章  家 族

第1節 概要

私たちのあり方をあらわす言葉は、「血縁を越えた大家族」です。

一般に、家族は「血縁で構成され、日常生活を共に営む集団」と定義されています。社会の中で、家族はもっとも近いいのちのつながりを表していると言えます。一方で、人間はいのちのつながりを血縁の遠近で分けて、家族という枠組みを作っていると言うこともできます。
いのちはその本質として、互いにつながり、活かし合って、ただひとつの宇宙を創りあげています。すべての存在は光の子であり、ひとつらなりの大きないのちです。家族の本質をいのちのつながりとするならば、すべてのいのちはひとつの大きな家族です。それが、この世界を創造し、ひとつに束ねている意志のあらわれです。
その意志が純粋に表されているのが、自然界です。自然界の仕組みにもとづいた生活を実践したとき、人々は血縁という枠を越え、新たな家族を創り出して絆を深めていきます。多様な人々が集い、調和し、それぞれの個性を花開かせる場所。善意と愛をもって互いを活かし合い、支え合って生きる暮らし。それを実践しているのが、木の花ファミリーの暮らしです。

それは、自らが思い描いて実現する暮らしではありません。この世界を創った意志に寄りそい、すべてを委ねて初めて実現する暮らしです。これからの時代、その想いは血縁を越え、人々の作りだしたあらゆる境界を越え、大きな「家族」を形づくってゆくでしょう。やがて世界がひとつの家族になる日を想いながら、私たちは自らに与えられた役割を日々淡々と果たしていきたいと願っています。

第2節 本質的な平等

木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、すべてのメンバーはその一部として欠かせない役割を担っています。性別や職種といった社会的な役割や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等です。

大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあって存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。一方、自我を持ち、自他を比較する人間の心は、本来平等であるはずの人々の関係に格差や支配をもたらしてきました。
そこから生まれるさまざまな問題を解決しようと、人間社会は法にもとづいた形式的な平等を作りだしてきました。しかし、こうした方法は、本当に人々の個性を花開かせ、平和な社会をもたらすのに十分なものでしょうか。

私たちは、人間が真の平等に至るには、いのちの本質を見据え、その姿にならう必要があると考えています。自然の営みをある限られた視点から見ると、そこは互いの生存をかけた競争の世界にも見えます。しかし、より大きな視点で見れば、自然はいのちのバトンタッチで成り立っており、すべては循環していることが分かります。その視点に立ったとき、人はいのちが持つ本質的な平等を見出すことができるのです。
私たちは不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。皆で語り合い、自らの心の枠を広げることで、他によって生かされ、他を生かす存在としての自分に気付くことができます。そして、自らの役割に対する自覚とともに、他の存在への感謝の心が育っていくのです。

あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり、本質的に平等です。互いを尊重し、信頼しあう暮らしの中で、私たちの絆はいのちの本質に限りなく近づいてゆくのです。

第3節 ファミリーメンバーとは

木の花ファミリーは「血縁を超えた大家族」として人々が生活を共にする共同体です。人々は自然の仕組みにならった利他の精神で互いを生かしあい、善意と愛により調和した暮らしを作り出しています。ファミリーメンバーは、生涯こうした生き方を実践する志を持った人々です。

木の花ファミリーはひとつの共同体であり、独自のライフスタイルと文化を持っています。共同体がひとつの生命体であるならばひとりひとりはその細胞や器官であり、それぞれの個性に応じた役割を担いながら全体を構成しています。共同体の運営に必要な資産、個人の能力や健康、時間や労力、そこから産み出される新たな価値は、個人のものであると同時に全体のものでもあります。ひとつらなりのいのちとして、私たちはすべてを共有して暮らしています。

生命が常に変化しつづけるように、新たな個性や能力を加えながらファミリーは進化し、その可能性を広げていきます。タンポポの綿毛が風に乗って飛び立ち、新たな地に降りたって根を張るように、こうした生き方はこれから地球上のさまざまな場所に広がっていくでしょう。それは普遍的なものであり、地球の意志の表れです。その意志にすべてを委ね、いのちのつながりに沿った生き方を実践する志こそが、ファミリーのメンバーであることの本質です。

第4節 パートナーシップ

この世界は一つの「想い」から創られています。この「想い」は世界に多様性をもたらすと同時に、世界を一つに束ねています。すべての生命が繋がり、生かし合う自然の仕組みはその表れであり、自然界にある多種多様な関係はすべて対等です。

自然界を手本とする木の花ファミリーの中には多くのパートナーシップが存在します。力を合わせて同じ役割を果たす関係、異なる役割で互いを補完しあう関係、愛を育む男女の関係、親子関係など。そのどれもが等しく大切な関係であって、上下も優劣もありません。誰にとっても全員がパートナーであり、みんなが善意と愛によって繋がることで、一人が全員のために、全員が一人のためにという関係が生まれます。
すべてが等しく重要な関係の中に、とりわけ縁の深い関係があります。その一つが愛を育む男女の関係であり、ここから新たないのちが生まれ、血縁がもたらされます。すべての関係が学びの機会となりますが、縁の深い関係は所有や束縛、執着の感情を引き出しやすく、より深く互いを振り返る機会となります。こうした感情に捉われず、善意と愛で互いに生かし合う関係を成り立たせることで、パートナーシップは全体に対して開かれ調和をもたらすようになります。そして、個々のパートナーシップのもたらす調和は全体に広がり、大きな調和を紡ぎ出します。
こうして紡ぎだされた調和は、みんなが安心して暮らしていける仕組みの基礎となります。みんなが一つになることで、将来や生活に対する不安のない場が生まれ、パートナーシップは善意と愛に満ちた純粋なものになっていくのです。

第5節 子ども

血縁を超えた家族の絆の中で、愛を育む男女の縁は新たないのちを誕生させ、いのちの伝承を継続させる役割を担います。

子どもは肉親の子どもであると同時にファミリーの子どもであり、社会の子どもです。大人は血縁に関わらずすべての子どもたちに分け隔てのない愛情を注ぎ、子どもたちはすべての大人を親とし、互いを兄弟姉妹として育ちます。
大人は役割として子どもを教え導きますが、子どもは大人の姿勢を写す鏡であり、その姿を通して大人も育てられます。子どもはメンバーの一員であり、ファミリーの中で役割を担うものとして大人と対等です。
ファミリーは自由意志で参加する人によって構成される、社会に開かれた共同体です。子どもたちが自ら生きる道を選択するまではファミリーで育てますが、その後の選択は完全に自由意志に任されています。私たちは子どもをいのちのつながりの中で大切な役割を担うものとして育て、社会に送り出してゆきます。

第 3 章  生 活

第1節 概要

自然界ではいのちがつながりあい、互いを生かし合って存在しています。私たちにとって生活とは、つながりの中で支え合い、共にいのちを維持し、育むために必要なすべての営みです。

私たちは血縁を超えた家族として互いに支えあい、それぞれの能力を活かして全体のために働きます。共に食べ物を作り、子どもを育て、学び、芸術に親しみ、祈り、喜びを祝い、死者を見送ります。生きるために必要なすべてのものを分かち合い、惜しみなく与え合って、すべての人が不足なく満たされます。

私たちはすべてがひとつであることの自覚のもとに生きることを目指して、共に成長の過程を歩んでいきます。生活のあらゆる場面を通して自らの内面をみつめ、喜びや感謝だけでなく問題事や苦しみも分かち合います。こうした営みによって、生活は目指す理想と分離することなく、生活そのものを通して理想が体現されていきます。それは自然の仕組みに沿って生きる道であり、この世界の奥にある意志と共に生きる道なのです。

第2節 仕事と役割分担

現代社会の多くの人にとって仕事は対価を得るための手段であり、生活から切り離されているものです。しかし、私たちにとって仕事とは共に支え合って生活するための必要を満たす手段であり、すべてのメンバーは共同体に対してそれぞれの個性に応じた役割を担っています。
自然界ではすべてのいのちがつながりあい、それぞれの働きによって他のいのちを存在させています。私たちもまた、全体のために働くことを通してそれぞれの個性と能力を開花させ、互いに生かし合っています。
自然界をモデルにした利他の精神のもとに立って、私たちは日常の小さな仕事も地球の営みと共にあることを認識し、心を尽くして働きます。私たちにとって仕事とは、自らが地球と共に生きることの表現のひとつなのです。

第3節 プライバシー、余暇・休日・休暇

一般的に、生計を立てるための職業と家事労働は明確に区別されています。しかし、私たちの暮らしにおいては、こうした垣根がありません。たとえば、食事づくりは家族のための営みであると同時に、訪問客に食事を提供し、収入を得る手段でもあります。また、農業は自らの食糧を生産する営みであると同時に、農産物の販売を通して利益を上げる方法でもあります。NPOやNGO等の非営利活動であれ、子育てであれ、私たちにとってはすべての活動が生活の一部です。このように、私たちの暮らしにおいて、生きていくのに必要なすべての営みは、利益の有無や必要なエネルギー(能力・労力)の多少に関わらず、まったく等しい価値を持つものであり、一つの生き物のようにつながっているのです。

プライバシー
プライバシーとは、本人の同意なく踏み込むことのできない領域(空間・時間)のことであり、その領域を守る権利のことです。
これに対して、私たちは共に生活していく上で必要な事柄を、積極的に共有しています。つまり、それぞれが自らの領域を垣根で守るのではなく、進んで互いを受け入れ、認め合うことで垣根を取り払っていくのです。そのようにして個々の境界がなくなり、信頼関係が深まり、すべての個性が溶け合い、全体の中で活かされ、尊重されるのです。

余暇・休日・外出
私たちの暮らしは自然の仕組みに沿ったものであり、仕事も休息も欠かせない要素として、日々の生活に柔軟に組み込まれています。そのため、あえて決まった休日を設けていません。私たちにとって仕事は望む生活を生み出す作業であり、生きがいと喜びに繋がります。よって、余暇を創り出す必要はありません。みんなで映画を観ることや、行楽に出掛けることはありますが、それは生活をより豊かにするための彩りです。そして、それはみんなで共有する時間であり、決して個人的な楽しみの追及だけではありません。それは一人で外出する際も同様です。私たちにとって個人の時間は全体の時間でもあります。私たちは常にファミリーの一員であることを意識し、みんなでこの暮らしを創り上げているのです。

第 5 章  経 済

第1節 概要

木の花ファミリーでは「お金のいらない世界」が実現しています。メンバーはそれぞれの能力に応じた価値を全体に対して提供し、生活に必要なものを対価なしに受け取ることができます。
ファミリーにおいて、仕事は生活と一体です。労働は報酬を得るための手段ではなく、皆が安心して暮らすための自発的な貢献と考えられています。ファミリーは対外的にさまざまな事業を通じて利潤を得ていますが、その利潤は「家族みんなのもの」であり、全体および個人の必要を過不足なく満たすために使われています。
ファミリーではすべての資産は「家族みんなのもの」と考えられています。メンバーは現金や不動産等の個人資産や共有資産を保有しますが、自発的な意志によってそれらの資産を全体のものととらえています。

こうした仕組みは、制度や義務によることなく個々のメンバーの意志によって実現しています。自然の仕組みがそうであるように、ファミリーではすべてのメンバーがそれぞれの役割を果たしてつながりあい、尽きることのない豊かさを産み出しています。こうした生活を実践する意志のある人であれば、誰でもこの暮らしに参加して、その豊かさを受け取ることができます。

*2018年8月現在、木の花ファミリー憲章は未完成となっています。

ともこ木の花ファミリー憲章